代表インタビュー これからの生き方、働き方
たまたまネットサーフィンしていたら
面白い記事を発見しましたので備忘録がてらシェア。
非常に面白かったので、ニュースタートのスタッフの川田さんに
思わずメッセージを送ってしまったのですが、これ実は彼がインタビューした
記事なんですね。笑
一番下まで見ていなかった。
さすが、川田さん引き出し上手ですな~~
まぁ、記事を読んでいろんな意見があるでしょうけど
やはり代表らしい逆転の発想だなと。
これを読んでから、お遍路ハウスの構想を聞くと
より腑に落ちる気がしますね。
特に、若者の新しい生き方という点で。
その後パート3 徳島編
うん、書き始めたらネタもそれなりにあるから
止まらなくなりますな。
このパートも書きようによってはいくらでも
膨らませられるなという感じですが、勢いでつづっておきます。
4月3日に徳島の板東駅に降り立ちまして
そこから1KM程度でお遍路ハウス一番門前にたどり着きました。
うーん、結構きれいでしたね
これで素泊まり2800円なら上出来かと
ここでは、丁度1年前にお会いした高原さんが
管理人をしてくださっているので、彼女を介して1番札所の尼さん
大先達さん等々、今まであったことのない方々とお話しできました。
また、1番札所近くという事で
外国人お遍路さんが時差ぼけを治すのに連泊されたり
高原さんのお知り合いもたくさん訪れて下さっているようで
3月と4月はそれぞれ40人以上は宿泊されたそう。
これは、恐らく今あるお遍路ハウスの中でも
一番なんじゃないかと思いますが。
でも、素泊まりなのでそこまで無理もなく
退屈もせずで丁度いいなと感じました。
個人的には、南アフリカから来たアンバ(白人)
という女性が非常に印象に残っていますね。
彼女も時差ぼけを治すために連泊したので
色々と話す機会があったのですが、ここ2、3年は
旅行しつつその土地で仕事をしてみたいな生活をしているそうで
お遍路に来る前はドバイの大富豪のベビーシッターをしていたとか。
しかも、彼らに雇われたのもスペインで豪華客船のウエイトレスを
していた時にスカウトされその流れでということらしく。。
うん、世界は広いね。(凡庸な感想)
欧米人は、結構そういう日本で言えばフラフラというか
放浪している同世代の人は結構いるなという印象。
あーーそういえば温泉行くのにも
彼女はタトゥーが入っていて隠すのが大変だったんですよね。笑
そうだそうだ、後は高原さんに占いしてもらったり
大掃除を手伝ったり、車で歩けなくなったお遍路さん助けに行ったり
アンバ以外にもフランスのカップル、中国のお坊さん、
韓国の大学生も来たり、10日間でしたが、まぁ色々ありましたな。
中国のお坊さんとはグーグルの翻訳で普通に会話できたのが感動したな~
今、あれめちゃ精度高いです。
そして、アンバとは後日再会したのでした。
続く・・・
お久しぶりです。その後パート2
横浜に戻った後は何をしていたか?
というと最初の2か月はいわゆるインターネット上で
物販をしていましたね。それも海外に日本の商品を
ポケモンカードとか野球カードとか結構高く売れたりして
ただ、それもずっとパソコン前での作業で孤独だったり
(孤独に弱っ。。笑)
持ち前の飽き性ぶりを発揮してそのあとはやめちゃいました。
んで、その後は、やっぱこっちで働くか~~と
定番のオチに行きつきましたが、フルタイムはハードル高すぎるからと
バイト等のパートタイム系を探してたまーに応募してってやりましたね。
ただ、親もしびれを切らしているのを感じつつ、どれも全く気乗りせずで。。。
で、ふと我に返ったときに
「そりゃあそうじゃん。それが無理だからそもそも遍路ハウス
管理人になったわけではないか・・。」という結論に達しました。
自分でも他人事のように、どうしてその既存のレールに
さして大きな疑問をもたず、これが社会人、働くということだ
と割り切って出来ないかな?と思いますが、これはなんというか
自分の性(さが)なんでしょうね、抗えない。生粋の天邪鬼というか
ただの中二病ともいますが。
だったら、うちの代表のように自分で事業起こすなり
道を切り開ければ良いんですけど、いかんせんそういうパワーとか
才覚も備わっていないという。
こういう人間は非常に生き辛いですな。
話が大分逸れましたね。
そういう流れで、またどっかお遍路ハウス行けるとこないかな~?と
3月の末にふと思いまして、代表の奥さんにTELしたわけです。
すると、お大師様のお呼びか偶然にも徳島の一番門前の
男性スタッフの方が急きょロザンナ夫婦がフィリピンに行く間の
助っ人として松山に行くので、代わりに一番門前にヘルプに入れるとのこと。
丁度、煮詰まっていたコッチとしては10日間くらい
気晴らしにいいなということで4月3日から徳島に向かったわけであります。
こうやって、一回離れてもまたスッと戻れるユルさが
お遍路ハウス、ニュースタートの良さかな~なんて思います。
続く
お久しぶりです。その後パート1
半年以上ご無沙汰しておりました。
その間もチェックして下さっていた方もいるようで
有難うございます。
お察しの通り私は、一旦お遍路ハウスから離れていました。
具体的に言うと
昨年の2016年12月に松山の平和通りハウスを出ました。
何故か?といいますと
まぁ、一言で言えば孤独に耐えかねてというところでしょうか。
あの辺りは、ゲストハウスやら泊まるところは一杯ありますし
本当にね、僕は平和通りハウスに9月末に移ったのですが
そこから2か月以上お客さん0でしたからね、ハイ。
そんなに暇なら働けば良かったのでは?
と、それもそうですけど3万あればどうにかなっちゃうんで
そうしたら、当然就業意欲なんてものはわかないわけでして。
さらに、松山での人間関係もこれ以上広がりようがなくなり
誰とも話さず、ただの引きこもりと化してしまったのであります。
これは、結構笑えないジョークですよね。
引きこもり解決策としてのニート管理人が
さらに悪化するという。。。笑
まぁそんなこんなで去年の年末には
地元の横浜に戻っていたわけでございます。
続く・・
夜行バス<船
久しぶりに、夜行バスなるものに乗りまして中々のストレスでした。
大きな要因の一つとして
松山に来てから公共交通機関を利用することがこの半年以上無く
完全に、周りに人がずっといるという環境に対しての免疫がゼロになっていたという事があります。
他にも、バスというのは、あまり早く着きすぎても微妙だから
時間調整の兼ね合いもあったりで、乗車時間がメチャ長い。
そして、隣の席に足を伸ばせる程は空いてないし
今回のバスはひじ掛けが固定だから、そもそもできないという。
また、リクライニング倒してフットレスト(足掛け)もMAXまで
上げたとて、やはり負荷がケツに一点集中となりますから心地よくない。
そして足がずっと下にある状態だと確実に血流が悪くなります。
だから飛行機とかでも長時間座りっぱだとエコノミー症候群とかなるわけで。
(※我々の世代はエコノミー症候群と言うと、元日本代表の高原を思い出す)
もっと言うと、空気の乾燥の予防にマスクとアイマスクは欠かせない。
口半開きで、イビキかいて寝てる人いましたけど彼は、自家加湿でも出来る
特殊機能が体に備わっているのでしょうか?まぁ恐らくああいう人が乾燥し倒して
睡眠時無呼吸症候群とかになるのでしょう。
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夜行バスのデメリットまとめ
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・乗車時間が長い
・横になれるほど座席が空いていることは、ほぼなし
・負荷がケツ一点に集中し、しんどい
・血流が悪くなる
・空気の乾燥
という訳で
同じくらいの価格帯&移動時間であれば絶対船の方がいいです。
(例えば、松山~福岡とかなら)
まず、大きな船なので船酔いの心配はないし
なにより、移動中の選択肢が多く持てるから。
例えば
・船内を歩く
・外に出てリフレッシュ
・ベンチに座る&TV鑑賞
・本を読む
・雑魚寝エリアで横になる
等々が挙げられます。
まぁ、これは人生とも同じでなるべく多くの逃げ道やら抜け道の
オプションを持っておくことは大事かと。
ただこの調子で行くと、都内に戻ったら
完全に浦島太郎状態になることは間違いない。
お祭りという口実
松山では今、秋祭りの真っ盛りらしい。
これは、今朝6時頃の道後・・・らしい。
昔から、祭と名の付く行事は、天邪鬼の私は嫌いでして。
体育祭、文化祭共に、中高生にとってはビッグイベントですが
酷い時には、前日軽度の捻挫をしたこともあり体育祭に
組体操を含め、一競技も出なかったことすらあります。
この頃からして、どう考えても社会不適合者感バリバリなのに
何故、つい数年前まで真っ当に生きれると思っていたのか、
自分の計算の甘さを悔いるばかりです。
話は反れましたが、私は勿論参加しないですが
ハッピを着た人々は町中に溢れかえっています。
そして、ザッと見た感じ男性のほとんどは
なんというか、気が荒そうなガテン系の兄ちゃんといった感じ。
私なりの穿った見解としては
伝統うんぬんではなく、お祭りという口実に
暴れたいのではないかとも見えてしまいます。というか恐らく正解。
おじさんが~会(歓迎会、懇親会等)とか
何かと理由をつけて飲みたがるのと一緒です。
まぁでも、盛り上がっているのでいいのではないでしょうか。
書くという事
今日は、「バッテリー」等で有名な
あさのあつこ氏の講演があったので聞いてきた。
ってか、「バッテリー」全6部作らしいんですが
総売り上げ1000万部越えとかすご過ぎ。
日本で一番売れた「窓際のトットちゃん」で580万部ですから。
bestsellerranking.hatenablog.com
平均して1作あたり160万部以上な訳で
これから先、日本の作家の小説でこれを上回るものって出ないでしょレベル。
まぁ、数値的な話はここまでにしておいて
彼女の話で印象に残ったことを記しておこう。
彼女は「書く」という行為を皆に推奨していた。
それは、何も作家を目指すとか、誰かに評価してもらうとか
そういう為じゃなくて、客観的に自分を見るために。
書くことで、自分との間に距離が出来て隙間を生むことが出来るからだ。
一人の人間でも、多面性があるにも関わらず
年を取ると、自分は社会においてこういう立ち位置だから
こうしなくてはいけないと自分を固定しがちになる。
だからこそ、日記でもブログでも何でも良いから
その時に感じたこと、考えたことを記しておけと。
10代には10代、70代には70代のその瞬間にしか書けないものがあるから。
そして、言語化する際に一番大事なのは
多様なボキャブラリーより前に自分の五感であることも忘れずに。